私が現在、通勤で使っている東急田園都市線は、日々混雑しており、よく揺れ、よく止まり、よく遅れ、地下や田舎道を通るためか電波の繋がりが弱い路線である。
具体的に言ってしまうと用賀駅~渋谷駅にかけての区間、私のスマホ(docomoのギガホ)では何も出来なくなる。
その間約15分、私は満員電車でひたすら虚空を見つめている。
初めの頃はこの時間を何とか活用しようと本を持ち込んだりしていたが、いかんせん混んでいるので読書の姿勢を維持できない。
Spotifyだけはギリギリ繋がる時もあるが、シャッフル機能が停止するため、同じ曲を繰り返し聴くことになる。
この一週間は「好きすぎて滅!」をひたすら聴いている。あの曲はいい。踊れるようにもしておいた。今のところ、披露する場はない。
最近はニュースが流れるデジタルサイネージを眺め世間のトレンドを知るか(しかし、電車を降りた瞬間に全てを忘れている)、前の人が眺めているYouTubeやアニメをチラ見する時間と化している。
……映画や動画をDLして見ればいいじゃないか、という話に帰結しそうだが、なぜか気が進まない。
私はZ世代よろしく、長い時間何もせずに動画コンテンツだけを見続けることが苦手である。
特に映画やドラマに関しては「この作品を享受し、なにか感じなければならない」と、気持ちがかまえてしまうからかもしれない。
虚無の時間、文でも綴ればいいじゃないか、という思考になれたのがごく最近。
転職まがいの転勤をしてから、仕事以外で文を書く機会がめっきり減っていた。
始めの頃は流石に文なんて書いている余裕がなく、その後もやや多忙で、肉体的にも精神的にも移ろいが激しく、そこに気持ちを割けなかった。
内省しても気が滅入るし、内省しないと何のために生きているのか分からないし、全く難儀である。
一応東京にまで転勤してきたのに「今年も私は変わらなかったなあ」というのが今のところ2025年の総評である。
どうすれば、私は自分が変わったと思えるのか。
結婚した時か、昇給した時か、新しい趣味や生きがいを見つけた時か、はたまた子供でも産めば変わるのか。どうすれば、どうなれば満足なのだろう。
周りからの評価というよりは、自分の考え方の癖であったり、自分自身の体感や理想の話のようなので、何だか難しい。
私の人生、飽くなき欲望に振り回されるばかりである。
けれど、「自分に変化がないこと」自体は幸せなことではないか、と思う。
健康に、私の考え方を変えずに生きられること、新しい環境でも仲良くしてくれる人がいることには感謝している。
そんな日々である。