木曜生まれは旅に出る

木曜生まれではない たまには文も書いておかねば

さくらももこさんの話

本当はこんなブログ書きたくなかった。


さくらももこさんが亡くなった。
昨日Twitterで知った。

あまり言う機会もなかったので公言していたかどうかは忘れたが、私はさくらももこが好きだった。

幼稚園児だった頃、叔母と母の部屋にあったさくらももこのエッセイとちびまる子ちゃんを初めて読んだ。それから長い時間をかけて、著作であるエッセイは借りたり買ったりして全て網羅した、と思う。(覚えているかは別にして)ちびまる子ちゃんは、原作は全て読破、キャラソンも少しは歌える。アニメはもう5、6年まともに見てない。
コジコジはさわりだけ。その他の漫画は大体持っていた、かなあ。
ガチ勢とは自信を持って言えない、普通のファン。
けれど一緒に“あった”時間が長すぎて、急に御冥福を祈れなんて言われても、追いつけない。

さくらももこが好きだといったが、正確にいうともう少し複雑だ。彼女に対する感情を言葉にするのはとても難しい。
彼女の良くも悪くも偏りのある、強い感情と豊かな感性に触れるには幼すぎた。雛鳥が親鳥についていくように、影響を受け、感化され、当時の私の夢の先にはさくらももこがあった。漫画家になることや作家になることではなく、最早、“さくらももこのようになること”が人生のゴール地点になってしまっていたと考えられる。

だから、進学だか就職だかでとにかく上京して、漫画家になるんだとずっと思っていたし、幸か不幸か、彼女と同じようなことが少しだけ得意だったことも良くなかった。そうなれるような気になってしまった。さくらももこのようになりたくて、彼女の好きな食べ物や好きなものは私も好きだと言った。ぐうたらで面倒くさがりといった良くないところにも拍車がかかった。考え方に染まった。

高校に入った頃には、その道との乖離が始まった。
彼女のような才能はないと自覚し始めた時の絶望といったら。本当はこの人に共感出来ないこともあるなと認められるようになった。自分が一番書きたかったものは漫画ではなかった。

分かりやすい指標を失うのは不安で苦しい。漫画家にはなれない、となった後もさくらめろん氏(さくらももこの息子のPN)と何とか出会える方法はないか画策したり、さくらプロダクションに入る道を考えたりもした。
ずっと私の中の一部から、さくらももこは抜けなかった。
いつか何かの形で会えないもんかなと、サインを貰って、握手するくらいならできるんじゃないかなと考えたりした。それが新しい夢になった。


もう漫画やエッセイをあまり書かなくても、ネットで叩かれていても、たまにブログを書いたり、何かとコラボしたりして、好きな人たちと面白おかしく愉快に過ごしてくれていれば、それで良かったのに。


夢を叶えるのに遅いなんてことはない、ってよく聞く。
でも遅かったよ。


こんなに長くずっと共にあったのに、私はファンレターのひとつも出したことがなかった。
いつでも書けるしなぁ、何を書けばいいのかも良くわかんないしなぁ、とずっと放置していた。
好きですと伝える自己満足のためだけにでも書いておけば、こんなに後悔しなかったのに。
さくらももこを夢見た、しがないファンのただのOLがオンオン泣いている。



パライバトルマリンの色を知った。
モザイクのアクセサリーが欲しくなった。
まる子が実写化するの、本当は好きじゃなかった。
わたしの好きな歌、もう一度ちゃんと見たいからDVD出して欲しい。
コラボした第2弾のピエールラニエの時計、親に欲しいって言ってみればよかった。
私は私であなたはあなた、何が悪いの?と開き直る、斜に構えた性格になってしまった。
文を書くのが好きになった。
ゲームをやり込んで、裏ルートまでクリアしたのはさくらももこのウキウキカーニバルだけだった。
静岡生まれだったら良かったのにと思った。
細かくて小さい、幻想的な絵が好きだった。

私が立派な大人になれば、いつか会えるかもしれないと思っていた。


早すぎるよお……。



昨年、デザイン的にあんまり使えないなァ、と見送っていた第4弾さくらももこコラボのピエールラニエの時計がまだ売っていたので購入した。これを付けて今秋、清水を訪ねようと考えている。

さくらももこさんと私の夢の埋葬をしに。