木曜生まれは旅に出る

木曜生まれではない たまには文も書いておかねば

誕生月の話


拝啓
雲の晴れ間の青空も懐かしく、鬱陶しい長雨が続いておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。


不安定な天気が続くものの、関東では例年よりも早く梅雨は明け、最近はずっとじめじめと暑い。7月になる。もうすっかり、季節は夏の様相だ。

そんな、夏の一歩手前6月のさなか、私は誕生日を迎えた。24歳になった。
24歳なんてもっと大人なんだと思っていたけれど、何だか全然変わらない。子供の頃夢見た素敵なお姉さんにもなれていない。それでも日々粛々と、淡々と、疲れて摩耗したり、やさぐれながら、でも時たま嬉しくなったり――びゅんびゅん過ぎていく季節を横目に見つつ、穏やかに生きることができている。
ただ、絶賛クォーターライフクライシス中なのは、私だけではないと目を瞑って……。

実は、最近ちょくちょく手紙を書く機会があったため、習いたての時候を冒頭で使ってみた。梅雨は明けているし、何なら今年は空梅雨だった気がするが気にしない。
それにしたって、6月って微妙な季節だと思う。これと言って特徴もなく、梅雨だし、祝日ないし。「私ね~6月が一番好きなの~!」って人、人生で1度も聞いたことがない。誕生月だし、人より多少6月に思い入れがある私でも、いいところがぱっと出てこない。出てくる人いる?
6月って多分、少し嫌われ者なのかも。

調べていた季節の時候、ここでも、やれ「梅雨入り宣言が出され、しばらくはうっとうしいお天気とのお付き合いです」だの「雨に映える紫陽花の花も美しく」だの「降り続く雨に木々の緑も色を深めています」だの、何となくレパートリーに乏しい感じだ。
ーいや、紫陽花とか、日常的に見ることなくない?
お前には、雨しかないのか6月よ。(俳句のリズムで読んでください)

これだけ貶し放題だとお前は6月が嫌いなのか?と思われていそうだ。6月生まれの民に刺されてしまう。否、愛ゆえ親しみのあるものを貶してしまうのが私の悪い癖。そもそも嫌いだったらこんなに6月に時間を割かない。まあ大好きという訳でもないけど。
しかしながら、6月生まれの人に大好きな人はたくさんいる。たまたまなのだろうが、私の周りは5、6、7月生まれの人が圧倒的に多い。友達には、特に5月生まれが多く、これらに更に8月も加えると家族、友人知人、尊敬する人の7割方は含まれてしまうんじゃないかというくらい。相性いいのかな。

自分自身の性格も6月の星、the双子座のものだなと自負している。
おしゃべり好き。二面性があり、飽き性。知識欲が多い。立ち直りが早い分、忍耐がない。
周りの6月生まれが全てに当てはまっている訳では無いし、こういう性格診断や占い的なものは、往々にして、普遍的で誰にでも当てはまるようなことを書きがちであるけれども。多才!なんて褒められると悪い気はしない。

私の唯一の特技が、人の誕生日は1度聞いたら大体覚えていること(少なくとも、月までは)と、雰囲気とかオーラで人の誕生日を当てることだ(よく外す)。
5月生まれは、穏やかな感じ。6月生まれは、主人公よりも主人公の友達によくいる感じ。7月生まれはマイペースっぽい人が多い。8月生まれは、何か強い。11月生まれは涼やかで情緒が大人なクールな人が多い……言葉で表すと難しいけど、雰囲気とかも込みで大体こんなだと思う。
何月生まれだからこう!と決めつけるのは違うけれど、人を構成する1つの要素として重要なのではないか、というのが私の見解だ。

元々、診断とか占いとか割と好きだ。小学生の頃は、図書館で心理テストの本を借りてみんなできゃいきゃいしながら帰ったりしていた。好きなキャラの誕生日から誕生花を調べて、その花言葉に思いを馳せたり。誕生石なんかもワクワクする。女子だから、自分だけのテーマカラーとか宝石とか嬉しくなってしまう。ここでも、6月の誕生石は真珠とかムーンストーンとかあまりキラキラしてない宝石で、パッとしないよなあ。
ちゃんとした占いにも、1度行ってみたい。あなたの性格はこうですよ~なんて言われると、何となくそうだったような気になる。自分のことを客観的に見る機会も、聞く機会もあまりないし、そう言ってもらえると少し安心する。増して、深く自己理解をできる人なんて、本当に聡い、僅かな人だけではないだろうか。いつまでも人が占いに集うのは、自分はこうだ、という確固たる指針がひとつ欲しいからかもしれない。

誕生日や血液型等々のパーソナルな構成要素や、周りの環境、たくさんの人との出会いや別れ、経験した出来事、見たもの聞いたもの食べたもの…これら全てが積み重なって、24年間の私になった。
素敵な人、難しい本や映画、詩的なもの、感性の豊かなもの、初めて踏み入れる土地の景色、天才が作った音楽、そういったものに触れる度、どんどん自分が膨れて大きくなる心地がする。私自身が何をした訳でも無いのに。

元々、客観的に人を慮るのは苦手だ。これも最近気がついた。面倒くさがりで適当に物事をすませたいけれど、計画は綿密にたてたい。コツコツ積み上げて1つの書類を作るのも嫌いじゃない。凝り性なのに飽き性。気にしいで、よくクヨクヨするのに自己中心的。勝手に決めつけられるのは嫌いだ。ついていけない。私だって私のことがよく分からないのに、考えたって人の事なんて分かるわけない。言ってもらわなきゃ、伝わらない。すぐ色んなことを忘れてしまうし、感情も持続しないという自分の尺度は、必ずしも皆に当てはまるわけではない、と気付いたのはいつだっけ。少し大人になった今でも、想像して想像して、気を遣ったつもりで動いても、ああ、また失敗しちゃったなと思うことばかりだ。
これだけ失敗を重ねていても、私は人が好きだし、今後もたくさん話がしたいと思っている。

自分の性格は昔とも変わったし、これからも少しずつ変化していくだろう。
そんな私と誰かや何かが出会って、また影響しあい、混ざりあっていく。
その集合体でできている。
24歳になる。





時候不順の折、皆さんのますますのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
敬具